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2007年01月30日

またいつか

1月はまだ明日一日ありますが,今日でブログの担当を交代します。この2ヶ月間ありがとうございました。初めてのブログで不安のスタートでしたが,終わってみればこんなに楽しくて充実した毎日はありませんでした。忙しくて何もないと思うような日でも,一日のうちには小さな楽しみや驚き,発見などが必ずあるのだということを知りました。以前の担当の方が(05年11月30日),ブログを担当することで,「物事を真剣に見聞きするようになりました」と書かれていたことも実感しました。

お伝えしたかったあれこれ(佐藤忠良記念館;彫刻家,野蒜築港跡;明治時代の土木遺産,美しい鳴り砂の浜辺,北国の生活のいろいろ,東北の山々と高山植物などなど)はまだたくさんあるのですが,いつかまた別の機会に。皆さん本当にありがとうございました。特に,マイペースな綴り方に付き合ってコメントをくださった皆さんに心からお礼申し上げます。

次の担当の方を私も楽しみにしています。仙台の夕月でお別れです。

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おまけ。
最後に,書き残した東北の温泉紹介で終わります。

No.1 青森の下北半島にある下風呂温泉。町も風呂も津軽海峡に面していて,見える景色はイカ釣り船。演歌の世界です。

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No.3 下北半島の薬研温泉。露天風呂への期待を募らせる長い渡り廊下が良いですね。

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No.4 名前のとおり恐れ多き恐山温泉。生半可な気持ちで入っては申し訳ないようで,写真だけ撮るにとどまりました。山内にある宇曽利湖は,この世のものとは思えない美しさです。

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4恐山温泉.JPG

No.7 稲垣温泉。青森の十三湖(しじみで有名)のそばにあります。気持ちはわかりますが,こんな大きいフォントで書かれるとちと興ざめ。

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No.8 鯵ヶ沢温泉。ここも夕陽がきれいです。

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No.10 大鰐温泉。八百年の歴史をもつ大鰐の「湯っこ」は,津軽の奥座敷として古くから親しまれてきたいで湯の里です。部屋の名前が,事務所の屋号と偶然同じで感激しました。

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No.12 湯治で有名な玉川温泉。湯治には入浴するより岩盤浴が良いそうです。ただし,来ている人は本当に命をかけて来ているので,観光では申し訳ない雰囲気。ph1.2という強酸性で98℃という熱湯が,毎分9000リットルという勢いで噴出しています。これだけでもうご利益がありそうです。

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No.13 秘湯でも紹介した秋田の乳頭温泉。秘湯の定義は温泉ではなく温泉宿に限定されているので,ここは秘湯ではない温泉宿。でも,露天風呂からこんな近くに砂防ダムがしかも段々になって見えるなんて眼福です。

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No.14 滑多羅温泉。街道筋にある一軒宿。後は山,街道をはさんで前は川。余計なものは一切ないお風呂。原点です。

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No.16 猿倉温泉。鳥海山の山麓にあります。露天風呂から見える鳥海山の眺めはしみじみ。

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No.18 岩手三陸海岸のマンガン鉱泉。温泉ではありません。東北地方の地図を見るとわかりますが,中央に奥羽山脈が走っていて,その西側には温泉が山のようにありますが,その東側にはありません。ですので,この三陸海岸側にも温泉はないのです。でも,このリアスの眺めはいいですよね。

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No.19 台温泉。有名な花巻温泉の奥にあります。開湯1200年の歴史。旅館が10軒,自炊旅館が8軒というのが,この温泉郷の雰囲気をよく伝えます。

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No.20 山形の赤倉温泉。スキー場が有名です。何だか懐かしい感じの彫刻ですよね。

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No.26 宮城の鳴子温泉。大浴場は混浴です。露天は予約の貸切制で,宿から車で移動する森の中にあります。

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No.27 宮城の作並温泉。明治時代の文士ら(正岡子規,土井晩翠,山田美妙,田沢稲舟など)が愛したというこの旅館の岩風呂は,歴代仙台藩主も訪れたという川に面した露天風呂。

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No.28 宮城の秋保温泉。お風呂は全部で6箇所あります。制覇するには1泊では湯疲れしますね。

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No.29 松島のバリ風旅館。温泉ではありません。それだけに,雰囲気で勝負でしょうか。部屋の奥には展望風呂があります。外の露天からも松島が一望できるロケーション。

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最後までお付き合いありがとうございました。機会があったら,東北の温泉に(東北の伝統的文化である混浴にも)ぜひどうぞ。

投稿者 watanabe : 23:54 | コメント (17) | トラックバック

ふゆみずたんぼ

聞きなれない言葉ですが「ふゆみずたんぼ」とは,冬の田んぼに水を張ることで施肥効果や抑草効果,害虫対策などを得て稲を育てる,無農薬無肥料の伝統の稲作農法のことです。江戸時代の頃は「田冬水(たふゆみず)」と呼ばれており,その後は「冬期湛水水田」と呼ばれてきましたが,馴染みにくいということで近年「ふゆみずたんぼ」という言葉が使われるようになりました。

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この「ふゆみずたんぼ」は全国各地で復活する兆しにありますが,宮城県北部でも広い範囲の水田が「ふゆみずたんぼ」となっています。その「ふゆみずたんぼ」の中心には蕪栗沼(かぶくりぬま)という沼があります。干拓事業により今はずいぶん小さく(150ha)なってしまっていますが,かつては北上川本流の巨大な自然遊水地でした。その沼に隣接する地区にはしらとり地区と呼ばれる湿地(50ha)があります。この湿地は10年前までは水田でしたが,関係者の合意のもと浅く水を張って沼に復元されました。この沼と湿地とに隣接する周辺の水田が,「ふゆみずたんぼ」として復活したのです。

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「ふゆみずたんぼ」の特徴は,様々な種類の生物が生息していることです。春はカエルやメダカ,夏はトンボや水草やクモ,秋はイナゴやカマキリ,そして今の季節の冬は,白鳥や雁や鴨などの渡り鳥です。この蕪栗沼を中心とした「ふゆみずたんぼ」は,10万羽の雁が越冬する日本を代表する渡り鳥の越冬地となり,一昨年(2007年)11月に,国際的に重要な湿地を守るラムサール条約湿地にも登録されました。

私は今年,この「ふゆみずたんぼ」のカレンダーを使っています。各月を代表する田んぼの生物がイラストや写真で解説されていて,綺麗で楽しいカレンダーです。3月はカエル,7月は水草,11月は雁(ガン)など。

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以下は,この冬の沼を中心とする湿地と「ふゆみずたんぼ」の様子です。
沼で眠るマガンやオオヒシクイの群れです(左)。一見わかりにくいのですが,ツブツブしているのがすべて鳥です。マガンは翼を広げると最大150cm,オオヒシクイは190cmにもなる大型の水鳥で,姿はカモに似ていますがカモよりはハクチョウに近い仲間です。ガンの仲間は本来とても警戒心が強く,また環境に敏感な鳥のため,ガンのいるところはそれだけで環境が豊かであるという証拠となります。マガンの生息には沼と水田がセットになった環境が必要ですが,全国各地の沼が消滅したため,この周辺に9割以上が飛来してきています。そのガンが危険を感じないため,近くをトラクターが作業していても飛び立とうとしません(右)。人間と鳥が共存できていると言えるのでしょう。

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トラクター.JPG


湿地の様子(左)。ハクチョウやカモが泳ぐ上空をトビが舞っています。猛禽類(右;トビ)は食物連鎖の頂点におり,猛禽類が多数いるということは,食物連鎖を形成する下のレベルの生物が多数いることを物語っています。

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ガンは,日中は沼の岸辺で眠ったり田んぼで落穂を拾って食べたりしていますが,夜間はねぐらである沼にいます。夜明け,何万羽という雁がいっせいに飛び立つ様は一度見たら忘れられません。写真左は,しかし,それを知らずに日中ここに来てしまった人のための立て札。夕方まで待てば,夜明けほどではありませんが多数でねぐらに帰る様子が見られます。「いっせい」には及ばないけれど,小さな群れで飛び立つガン(右)。

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他にもサギの仲間などの水鳥が多数いるので(左),羽毛もいろいろな種類がたくさん落ちています(右)。一日集めれば枕くらいにはなるかも知れません。

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ここの近くには縄文時代の遺跡(左)や貝塚(右)も多く出土しています。縄文の時代から人と生物が共存してきたのだとしたら,その環境を後世に残していくのは私たちの使命だと思っています。

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投稿者 watanabe : 22:53 | コメント (4) | トラックバック

2007年01月29日

雪輪ストールと雪輪梅文様帯

1/12にご紹介した白鳥さんの雪輪ストールです。白鳥さんが着用している姿をMCATさんが撮影してくださった写真をお借りしました。

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全体の柄はこういう配置で入っているんですね。前から見ると左右の柄の入り方に軽重があって,ススキはススキで,雪輪は雪輪で引き立ちますし,後から見るとススキに雪輪が舞い降りている一体感があって,これまた素敵です。洋装にも良く似合います。趣味と実益を兼ねた,とよく言いますが,白鳥さんの趣味は趣味の領域を超えて,これで生計が立てられるのではないでしょうか。

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そして,雪輪ストールを見ているうちに,何となくどこかで何かに通じる,と思っていたものに突き当たりました。仙台市博物館で見た『雪輪に梅文様帯』(写真左)です。「雪輪」と言った(聞いた)ときから何となくひっかかっていたのですが,白鳥さんの背から見たストールの柄を見てようやく気づきました。「渋い色の地に,植物の枝花に重なる雪輪」という記憶の中の相似性です。ところが,調べてみたらこれが全然似ていませんでした。人間(私)の記憶って当てになりませんね。この帯は,仙台藩4代藩主伊達綱村の母(三沢初子)のものと伝えられています。

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ついでなので,正宗が愛用してた有名な陣羽織もご紹介します。この陣羽織は,『紫羅背板地五色水玉文様陣羽織(むらさきらせいたじごしょくみずたまもんようじんばおり)』と言います。羅背板(らせいた)とは薄い毛織物を指します。その紫色の生地に,赤・青・緑・白・黄色の五色の大小の水玉を散らし,その輪郭を紐で縁取ってあります。この水玉模様は,地の生地を円形に切り抜き,そこに色の異なる別の生地をはめこむ切嵌(きりばめ)という技法(布地だけでなく彫金などでも使われる技法)で作られています。背には竹雀紋が金糸で刺繍されており,派手といえば派手ですが,現代に通ずる粋さも併せ持っているように思います。

そのため,この柄を生かしたお土産品もあります。お香立て(上左)に急須置き(上右),銘々皿(下左)に箸置き(下右)です。箸置きはうちでも愛用しています。

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古典ながら現代にも美しく粋と感じる色柄の陣羽織。白鳥さんの独創的な雪輪ストールも,きっと時代を超えて愛される逸品になりますね。

投稿者 watanabe : 20:30 | コメント (4)

2007年01月28日

仙台銘菓「ずんだ」シリーズ

これを始めると大変なことになると思っていたので後回しにしていましたが,ついに手をつけました。東北銘菓「ずんだ」シリーズです。

「ずんだ」とは,枝豆をすりつぶして砂糖を加えた餡のことで,「づんだ」とも「じんだ」とも言います。語源は諸説ありますが,正宗公のお供の者の甚太(じんた)が,陣太刀(じんだち)で即席に豆を打って(豆打=づだ)作ったためと言われています。

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以前(12/13『青ざし ふうきようかん』),MCATさんから「大の豆好き」とコメントをいただいて以来,ずっと『豆』をキーワードにお菓子を紹介しようと思っていました。そして,東北で豆でお菓子と言ったら,やはりこれ「ずんだ」しかありません。これしかないだけに,そのバリエーションがすごくあって躊躇していたわけです。

まずは,一番ポピュラーなずんだ餅。ずんだの中にお餅が入ってます。昔ながらの大きなサイズもありますが,最近は小さく,かつ一人一人で食べられるこんなカップが人気です。

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同じくずんだ餅のカップ版ですが,こちらのメーカーはプレーンとカスタード入りの2種類があります。カスタード入りの方が私は好きです。キャラクターは,初めて食べたとき大感激したというやなせたかしの絵。

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ずんだ餅なのですが,ずんだが餅の中に入っています。こちらにはプレーンと生クリーム入りがあります。こちらも生クリーム入りの方が私は好きです。ずんだ餅としては若干邪道な気もしますが,この「クリームずんだ」は私の一押しです。

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玉澤1.JPG

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これもずんだ餅なのですが,餅が少し固めに作られています。中に入っているのはチーズクリーム。

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これは大福。見たとおりの味。

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大福1.JPG

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こちらはまんじゅう。ふかしてあるのですが,意外にも餡はしっとりしています。

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まんじゅう1.JPG

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ゆべし。普通のゆべしは,プレーン以外はクルミやゴマが生地に混ざっていますが,これは餡が中に入っています。そのせいか,生地と餡にあまり一体感が感じられません。

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ゆべし1.JPG

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生どら。実は,生どらは生どらとして,仙台土産の一品になっています。これはずんだが入っているので,二重の意味で仙台土産かも知れません。生どらの生は生クリームの生で,餡に生クリームが混ざっているがゆえです。イチゴやアズキなど他の味もあります。

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生どら1.JPG

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ロールケーキ。生地にもずんだ,クリームにもずんだですが,それほどしつこさは感じません。1片包装でなく1本ものもあります。

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パイ。見てのとおり。

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マドレーヌ。だんだん無口になってきました。

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マドレーヌ1.JPG

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最後はプリン。これは某民放で芸能人おすすめスイーツとして紹介されたそうです。そんな能書きは別にして美味しい。

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食べてみての感想は,ずんだはやはり洋菓子よりも和菓子に合うような気がします。それは,パイやマドレーヌのように生地に味のあるものでは,ずんだの持ち味が活かされないからのようです。その意味で,ゆべしも今一つといったところです。同じ味のある生地でもどら焼きには合うのですが,それはたぶんずんだに生クリームが混ざっているという魔法(さっぱり味のずんだにコクがプラスされる)ではないでしょうか。ロールケーキが悪くないのもそのためのような気がします。

そして,もう一つのポイントは柔らかいものと合わせること。ずんだのツブツブ感(していないものもありますが)を活かすには,相手は柔らかければ柔らかいほど良いような気がします。プリンは,その意味でも生クリームと合わさっている意味でも美味しいし,ずんだ単体よりカスタードやチーズや生クリームと合わさっている方が美味しく感じられるのも,全体の柔らかさが増すためではないでしょうか。

実は,上で紹介しただけではありません。まだ,チーズケーキもモンブランもパイシューもありますし,チョコもあればシェイクもあります。ご当地もの土産として,プリッツもじゃがりこもあります。が,これを全部食べていたのではいつまで経ってもご紹介できないばかりか,体重が着々と増えてしまいます。また,大前提として,「甘い枝豆の餡」自体,好みが分かれるところのものでしょう。実際,私も初めて食べたときには「ややや,むむむ」と思いましたし,近畿出身の近所の友人(仙台在住歴20年)は,まだ「許せへ~ん」と言っています。ですのでとりあえずこの辺で。後は仙台へ来たときのお楽しみとしてください。

投稿者 watanabe : 15:04 | コメント (8)

2007年01月27日

せんだいメディアテーク

ケヤキ並木で有名な定禅寺通りに面した,複合文化公共施設です。
「メディアテーク」とはフランス語で「メディアを収める棚」を意味しているそうで,ここでは,書籍,ビデオ,DVD,CD,CD-ROMなどの映像や音楽を集めて市民に提供すると同時に,市民参加型の各種のイベントを開催しています。

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もともとは,べつの場所にあった仙台市民図書館が老朽化したためその代替施設を造る予定だったのですが,せっかくなので単なる図書館ではなくギャラリーも併設し,さらに時代の要請に応えて,映像や音楽などのあらゆるメディアの収蔵・閲覧・鑑賞を可能とする施設にすることにしたのがメディアテーク建設の経緯で,2000年に完成しています。

写真でわかるように,この建物は通りに面した部分の壁がガラス張りで人目を引くのですが,それだけでなく建築物として評価が高いそうです。私は建築のことはとんとわからないので,間違っていることがあったらごめんなさい。

まず,構造としては,建物全体がチューブと呼ばれる13本の鉄骨独立シャフト(主に鋼管トラス構造)と,7枚の鉄骨フラットスラブ(ハニカムスラブ:鋼鈑サンドイッチ構造)のみで構成されており,これは、「柱」によって建てられる旧来の日本家屋と建築思想が同じだそうです。このチューブは,屋上の採光装置で反射した太陽光を建物内部に取り入る役目のほか,ネットワークや空調などの設備配管や配線,エレベーターや階段など垂直動線を通すパイプとしても利用されているそうです。

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また,建物の78%を覆うガラスは,南側を二重にすることと建物上部に開閉機構を設けることで,夏期は機構を開放して内側に上昇気流を起こしてガラス面を冷却し,冬季は閉めて断熱性の高い空気層を作り出して空調コストを低減させているそうです。このように,壁ほとんどガラス張りであるため,支柱のスケルトン構造を外から直接見ることができると同時に,建物の中からも定禅寺通りのケヤキ並木を見渡すことができ,中と外との一体感があるそうです。

確かに,毎秋に開催される定禅寺ストリートジャズフェスティバルの時には1階の通りに面したガラスが全て開かれてイベントが行われていますし,毎冬のSENDAI光のページェントの時にも関連したイベントが行われています。それに,光のページェントをこの建物の上から眺めるのはとても美しい。

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この構造形式は,現代のコンクリートビルディングの構造である「柱・梁からなる構造+補助的に柱梁間に挟まれた構造壁=ラーメン構造=近代建築」とは異なり,柱をたくさんの細い鉄柱に分解し,擬似的に曲面構造を構成することで「すけすけの柱の内部=チューブ」を作り出した「柱の概念を解体する」挑戦だそうです。世界中で全ての著名な建築家は近代建築に対する批判的思考を経て新しいものを生み出しているそうですが,その中でも近年ではこのせんだいメディアテークの建物は圧倒的であり,世界(特にヨーロッパ)の建築界に衝撃を与えたそうです。話が専門外のため,すべてが「そうです」になっているところが情けないのですがご容赦ください。

さて,それで,このメディアテークの本当の評判はどうなのでしょうか。
以前(12/12),authenticityさんから「せんだいメディアテークは、他にはないような新しい建物で、高く評価されて」いるし,「利用者の一般市民の方々も、明るくて気持ちがいい、時々立ち寄るようになったとか絶賛という感じだったのですが、本当のところはどうなのか街の評判を聞いてみたい」というコメントをいただいたので,私もずっと気になっていました。それで,近所の友人に尋ねたり,メディアテークに来ている人たちの会話を盗み聞きしたり,ネットで関連したブログを読んでみたりしました。

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肯定的な意見としては,「イベントによっては開館前に到着しても,もう行列ができている」「七夕やジャズフェスティバルや光のページェントなど,季節ごとのイベントと連携している」「デートスポットになっている」などで,それなりに市民に開かれて活用されているという評価。

逆に,否定的な意見の代表格は,「ここで行われているイベントや発表会などが,本当にここでなければダメといった感じはない。別の場所のギャラリーでも同じではないか」というもの。私も,どちらかと言うと後者に近い意見です。確かに私も見に行った岡本太郎の写真展は良かったのですが,それは作品の持つ力であって,どうしてもここでやらねば魅力が引き出せないというわけではなかったように思います。

でも,それを言ったら,本当にこの入れ物でなければジャストフィットしない中身というものは,ここに限らずあるのでしょうか。それに,できてしまっているものは使わなければもったいない(建設費は地下2階地上7階で130億円)。結局は,いろいろなことをしていくうちに人(地域)に密着していくのではないかというのが私の結論です。実際,今月の月例上映会では『1978年宮城県沖地震の記憶』を上映しています。こういうフィルムは,通常であれば学校や社会教育団体にしか貸し出せないそうなので,こういう機会に見ることができるのは有難いことではあります。また,仙台のアート関連の発信地として集客力も少しずつ発揮しているようで,周囲にアート関連の店や民間企業が集まりだしてもいるそうです。

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というわけで,私が勝手に考える今後の課題としては,メディアテークのような(たぶん)質の良い空間を活かすイベントや企画を考えることではないかと思います。良質の多様な企画(曖昧ですみません。このあたり私の苦手領域)によってさまざまな人を呼び込むことで,人と人との接点を作る場となることができるのではないでしょうか。それが,次のステップにつながっていくように思えます。なんか思考停止型のニュースキャスターのコメントのようで自分でも恥ずかしい感じです。ごめんなさい。

それから,「冬場、雪の中ではどんな風景になるのでしょう。」は,残念ながら今年の記録的な暖冬のためお見せすることが叶いませんでした。こちらもごめんなさい。
建築に興味のある方は,メディアテークの写真集が出ていますので,ご覧になってはいかがでしょうか。建築学会作品賞やグッドデザイン賞など数々の賞を受賞している,建築物としては本当に画期的な建物だそうです。

投稿者 watanabe : 16:00 | コメント (6) | トラックバック

2007年01月26日

東北のおすすめ温泉

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昨日は書き忘れましたが,1月25日は「日本最低気温の日」です。1902(明治35)年,北海道旭川市で日本の最低気温の公式記録マイナス41.0℃を記録したそうです。その後,1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低いマイナス41.2℃を記録したのですが,気象庁の公式記録の対象から外れていたため旭川の記録が公式の日本最低気温となっているそうです。

それで昨日,「寒い日には温泉で温まろう」と思って温泉の話をしたのでした。そして,「日を改めて」と言ったとおり日が改まったので,テンションが高いうちにおすすめ温泉をご紹介します。オレンジ印の6温泉です。

No.2 青森の奥薬研温泉「かっぱの湯」。「表ガッパ」「裏ガッパ」「夫婦ガッパ」の3種類があり,表と裏は混浴。中でも裏は,その名のとおり知る人ぞ知る秘湯。川っぺりにありますが,場所を知っている人からは丸見えです。

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No.6 青森の酸ヶ湯温泉。一度に千人入れるという巨大な「千人風呂」があります。もちろん混浴。「混浴を守る会」もあって,日本の伝統文化として混浴を奨励しています。ただし,見ても見せてもいけません。浴槽の中央付近に杭が立っていて,そこの左右で男女が入る場所が分かれています。深い。

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No.9 青森の不老ふ死温泉。「不死」ではないところがミソ。JRのポスターでこの瓢箪型の露天風呂を見た方もいるのでは。目の前が海,というよりは海の中に温泉がある,と言ったほうが的確。手前は風呂の湯,奥は海。

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No.15 秋田男鹿半島の男鹿桜島温泉。日本海に突き出た突端にあるという最果て感がたまりません。日本海に沈む夕陽を見ながらの露天風呂も最高ですが,この日は大嵐でした。日本海の嵐は激しいです。

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No.22 秋田の月山山麓にある月山志津温泉。月山に登ったあと,目の前に月山を見ながら露天風呂に入る。至福のひと時です。内湯にはこんな可愛い雪だるま。日本酒が入っていて,一口飲みながらのひとっ風呂です。

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No.23 新潟からエントリー。村上にある瀬波温泉。夕陽をみながら入れる露天風呂は他にもありますが,雄大さと物哀しさとが同居している意味ではここが最高です。

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実は仙台に越して来るまで温泉にはあまり興味がなかったのですが,こちらへ来てから俄然好きになりました。風土が気質を作るのでしょう。ちなみに,今年の仙台は暖冬ですが,昨年の最低気温はマイナス8℃でした。

投稿者 watanabe : 00:31 | コメント (4)

2007年01月25日

東北の秘湯

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東北といえばキーワードの一つはやはり「温泉」。そして,「温泉」といえばキーワードの一つは「秘湯」。

そこで「東北の秘湯」をご紹介しようと思ったのですが,どの温泉もなかなか捨てがたい良さがありますので,この5年間で私の入った東北+新潟の温泉をワンコメントで一挙紹介。

とは思ったものの,集めてみたら思ったより多かったので,とりあえずはやはり「日本秘湯を守る会」会員旅館である本当の秘湯(右の絵のグリーン印)だけを紹介します。
日を改めて,機会があったら他のところ(特にお勧め)を。


No.5 青森県の蔦温泉。お風呂の底から温泉がぽこぽこ湧き出ています。洗い場はありません。夏には外に蛍の乱舞。

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No.11 秋田八幡平のふけの湯温泉。河原に建つ混浴露天風呂が豪快です。入るにはちと勇気が必要。小屋の中は脱衣所。この状況で脱衣所だけ囲う理由は何でしょうか。

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No.13 秋田の乳頭温泉。なんと言っても白濁したお湯が魅力。露天から見える景色は,新緑でも雪でも紅葉でも四季おりおり綺麗です。

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No.17 秋田の泥湯温泉。旅館の奥は混浴露天風呂。女性専用露天風呂も,目隠しの隙間は巨大です。

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No.21 山形の銀山温泉。JR東日本の宣伝であまりに有名ですが,行くなら絶対冬です。

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No.24 宮城の温湯温泉。明治から大正期に建てられた,早く行かないと今にも崩れそうな愛すべき旅館。夏はカメムシの乱舞。

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No.25 宮城の中山平温泉。「うなぎ湯」の別名どおり,お湯がとろとろ。お湯で肌が溶ける感触です。祀られているのは,東北に多い金勢大明神さま。

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No.30福島の微温湯温泉。本当にぬるくて温水プールなみ。寒くて我慢できない時は,バスタブの温水で温まります。でも,寒さを我慢してずっと入っていると,いつのまにか一晩中からだがぽかぽかです。

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さすがに秘湯。どこへ行っても,何かしら人をうならせるものがあります。

投稿者 watanabe : 22:00 | コメント (2) | トラックバック

2007年01月24日

支倉常長

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宮城で伊達政宗の次に有名な歴史上の人物と言ったら,この人しかいません。支倉六右衛門常長。日本史で習ったのを覚えている方もいることでしょう。歴史の話はしないつもりでしたが今日だけ。

支倉常長は,伊達政宗公の命をうけてローマ法皇に謁見した初めての日本人です。
その目的は,スペイン国王に会ってメキシコとの直接貿易の許可を得ることと,ローマ教皇に会って仙台領内での布教のため宣教師の派遣を依頼することでした。すでに徳川の世ではありましたが,メキシコとの貿易を望む幕府側との利益も一致したため,幕府も認めた正式な外交使節団でした。


支倉焼き包みのボタン.JPG 常長と慶長遣欧使節団180人は,慶長18年(1613年)10月28日,サン・ファン・バウティスタ号という木造船で月の浦を出航しました。

支倉焼き包みのボタン.JPG しかし,日本を出て3ヶ月後,メキシコのアカプルコに到着した頃,日本では幕府が全国にキリシタン禁令をしいたため,それを聞いた乗組員のほとんどがメキシコにとどまってしまい,サン・ファン・バウティスタ号で旅を続けることができなくなってしまいました。

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支倉焼き包みのボタン.JPG それでも,スペイン国王とローマ教皇あての手紙を預かっている常長一行はアカプルコで待ち続け,半年後の1614年6月10日,ようやくスペイン艦隊に便乗して日本人として初めて大西洋を渡ることになりました。

支倉焼き包みのボタン.JPG キューバ島ハバナを経由してスペインに上陸したのは,その年の10月5日。この時,一行の人数は当初の180人以上から30人ほどとなっていました。同行していた宣教師ソテロの出身地であるセビリアで大歓迎を受け,12月20日ついにスペインの首都マドリードに到着します。

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支倉焼き包みのボタン.JPG 1615年1月30日,日本出発から1年8ヶ月を経て,ついに常長はスペイン国王フェリペ三世に謁見しました。その場で政宗公の手紙を渡し,宣教師の派遣とメキシコとの貿易を希望することを伝えます。

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支倉焼き包みのボタン.JPG 国王からの返答を待つ間の2月17日,常長は王立跣足女子修道院付属教会において,スペイン国王やフランス王妃たちの列席のもと洗礼を受けます。洗礼名は,国王と聖人の名前を冠した「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」でした。

支倉焼き包みのボタン.JPG しかし,日本国内での禁教と弾圧の情報が国王の耳に入り,また,使節の目的が本当は貿易だけであることや,政宗公は日本の国王ではなく一領主に過ぎないことなど,常長ら使節にとって不利な情報が次々ともたらされていました。このような中,華やかな歓迎とは裏腹に国王から良い返答は得られず,使節は8ヶ月もマドリードに滞在させられました。

常長正装.jpg

支倉焼き包みのボタン.JPG 交渉を進めるためにはローマ教皇の力が必要と考えた常長は,1615年8月22日,予定どおりローマへ出発します。10月25日,使節団はローマへ入り,29日には常長は華麗な衣装を身にまとって入市式の行進を行いました。そして11月3日には,キリスト教の頂点であるローマ教皇パウロ五世に謁見しました。その時教皇に手渡された政宗公からの手紙には,フランシスコ会宣教師の派遣とメキシコとの貿易に関して,スペイン国王へなかだちを依頼する旨が書かれていました。

船首.JPG

支倉焼き包みのボタン.JPG ローマ教皇から宣教師派遣の許しを得た使節は,再びスペイン国王と貿易の交渉をするためマドリードに戻ります。しかし彼らはそこに留まることを許されず,帰国のためにセビリアへと移されます。常長は使節団の大部分の人々をそこで帰国させましたが,国王フェリペ三世の返書を得るために自らはセビリアに留まって交渉を続けます。

月の浦港.jpg

支倉焼き包みのボタン.JPG しかし,1617年7月4日,返書を得ることは遂に叶わず,追われるようにヨーロッパを離れてメキシコに向かいます。そして,アカプルコに迎えにきたサン・ファン・バウティスタ号でマニラに到着します。そしてさらに,そこに2年間滞在した後,目的を達せられず失意のまま仙台に帰ってきました。時すでに1620年8月26日,月ノ浦を出航してから実に7年の月日が過ぎていました。

支倉焼き包みのボタン.JPG ところが,ようやく帰った祖国も安住の地ではありませんでした。既に幕府の権力が確固としたものになりつつあったこの頃,仙台藩も常長の帰国直前に領内にキリシタン禁令を出し,取り締まりの強化に乗り出していたからです。宣教師をよぶために使節を派遣した政宗でしたが,幕府の方針には従わざるをえない状態となってしまっていたのです。

マスト空.JPG

支倉焼き包みのボタン.JPG その当時,太平洋・大西洋の二大洋を横断した人はなく,常長は現代なら一躍ヒーローでしょう。しかし,洗礼を受けて帰ってきた常長への待遇は冷たく,加えて,政宗公の命は実は海外への軍事協力であるとの説もあったため,稀代の功臣ともいうべき常長は事実上歴史から抹消されることになったのでした。

支倉焼き包みのボタン.JPG 結局,常長はその後隠棲したままこの世を去りました。そのため,常長がどこに葬られたかはいまだに不明で,常長の墓といわれるものは宮城県内に3ヵ所存在しています。仙台市青葉区にある光明寺,常長の生まれ故郷とも言える柴田郡川崎町支倉地区の円福寺,そして黒川郡大郷町のメモリアルパークです。


常長は苦労の上,失意のうちにその人生を終えましたが,宮城の人たちは今でも常長を愛しています。その証拠が「支倉焼き」。バターと卵と砂糖を練り上げて作ったタネ(焼いたあと皮になる)に,クルミの入った白あんをのせ,木型に入れて焼き上げた,洋風どら焼きとでもいうお菓子。日本(仙台)と外国とをつなごうと努力した常長にはぴったりのお菓子で,「支倉焼」の文字が綺麗に浮かび上がっています。「支倉焼き」はあっても「伊達焼き」はないところに,常長への特別な愛情を感じます。ちなみに,「支倉常長ビール」というのもあります(ただし,こちらは「伊達政宗ビール」もありますが)。

支倉焼き中身.JPG

支倉焼き包み.JPG

支倉焼き.JPG

ところで余談ですが(このブログすべてが余談ですが),常長らが持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」(国宝)の中に,「ハセクラ」という名を「faxikura」とつづった部分があり,当時ハ行を唇音(「ファ」)で発音していた証拠となっているそうです(つまり,「ハセクラ」ではなく「ファセクラ」だった)。また,正宗の氏名のつづりが「MASAMVNE IDATE」となっており,「伊達」は当時「ダテ」ではなく「イダテ」と読まれていたこともわかるそうです。歴史って,こういうトリビアルな話が面白いですね。

投稿者 watanabe : 22:24 | コメント (8)

2007年01月23日

仙台朝市

仙台駅から徒歩わずか5分のところに,仙台朝市があります。朝市とは言っても早朝から夕方まで営業しているので(祝祭日は除く),地元の人だけでなく観光客も多く,一日中いつ行っても賑わっています。

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仙台朝市のルーツは,空襲で焼け野原となった駅前に終戦直後から露店が軒を並べるようになってできた,いわゆる「闇市」。当時は,粗末なテントを立てたり,むしろを敷いて品物を売っていたことから,通称「青空市場」と呼ばれていたということです。朝市のある場所は現在ではオフィスビルの多い場所なのですが,朝市の場所だけ雰囲気が急にアジア的になっていて,100mにも満たない道の両側プラス店の奥に80軒もの店がひしめいています。

まず,やっぱり魚屋。カニ,カレイ,マグロ,タラ,イカ,鮭etc.

魚屋.JPG

魚屋店先.JPG

そして,八百屋。仙台には「仙台野菜」と言われる仙台で昔から栽培されてきた野菜があります。例えば,曲がりネギや白菜や雪菜。

八百屋.JPG

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ちぢみほうれん草もそうです。見た目はこんなに縮れていますが,縮れているぶん成分が凝縮されているため,甘くて栄養も豊富。

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水菜も京都が有名ですが,仙台でも栽培されています。京都産より細くて丈が短いのが特徴。季節は遡りますが,夏にはこんなに長い長ナスも出回ります。

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果物屋。「仙台いちご」も国内より台湾などで有名のようです。

果物屋.JPG

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豆腐屋に乾物屋。キノコとギンナンとフキノトウが同居しているなんて季節感がありませんが。

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正宗の故郷,岩出山のまんじゅう麩におから麩。宮城県北部や岩手県南部には油麩というのがあり,うちではそれを愛用しています。一見,フランスパン。

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花屋に駄菓子屋。「仙台駄菓子」というものもあって,うさぎ玉,ぶどうにぎり,きなこねじり,青葉しぐれ,味噌ぱん,干切,塩釜,太白飴,こうせん,などなど。懐かしい味がいっぱいです。

花屋.JPG

駄菓子屋.JPG

この他にも,肉屋,惣菜屋,漬物屋,海産物の加工品屋,珍味屋などがあり,「朝市ラーメン」が食べられる食堂もあります。

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そして,この朝市からまた徒歩5分のところにあるのが「仙台銀座」。「銀座」と名のつくところには,本当の銀座とは程遠い雰囲気が漂っているものですが,ここ仙台銀座も例外ではありません。路地裏の横丁にある20数軒ほどの飲み屋街です。でも,仙台朝市に並んでいる生きの良い食材が酒の肴となって並んでいるのも事実です。仕事納め(12/29)に行ったお店もここにあります。

仙台朝市と仙台銀座。仙台出張の折には,日中なら朝市へ,夕刻なら銀座へ出かけてみてはいかがですか。


投稿者 watanabe : 22:30 | コメント (2)

2007年01月22日

塩釜魚市場

東京から友人が遊びに来るというので,宮城の旬の魚でもてなしたいと思って塩釜港にある魚市場へ行ってきました。うちから車で30分ほどの距離です。

外観.JPG

通路.JPG

今の時期,何といっても美味しいのはタラ。タラなんて湯豆腐の飾り程度にしか思っていませんでしたが,鮮度の良いタラは刺身で食べられることをこちらへ来て初めて知りました。脂がのっていてほのかに甘く本当に美味しい。昆布締めも最高です。白子もタラコも,ポン酢をかけたり醤油に漬けたりして生で食べられます。左は真ダラ,右は巨大な助宗タラ。

真鱈一家.JPG

巨大助宗鱈.JPG

宮城の冬にかかせない,ナメタガレイ(左)と吉次(右)。ナメタは煮付けで,吉次は焼いていただきます。

なめた.JPG

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七ヶ浜の黒ソイ(左)にノド黒(右)。黒ソイは刺身,ノド黒は焼き魚。

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イカも旬です。ヤリイカにスルメイカ(左)。まだまだカキも忘れてはなりません。春の味覚の貝類もずいぶん出ていました。赤貝にホタテにツブ貝(右)。

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アワビ(左)のステーキも,ナマコ(右)の酢の物も捨てがたし。

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なまこ.JPG

もちろん,マグロもあります(左)。頭も欲しければ(右)。

まぐろごろん.JPG

まぐろ頭.JPG

ちゃんと小売もしてくれます(左)。ほっぺ(右)のステーキもおいしい。

まぐろパック.JPG

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カニも旬です。上の写真で,まぐろのほっぺの左にあったスクモガニに毛ガニ(左)。毛ガニの奥にタラバもあります(右)。

スクモカニ・毛がに.JPG

タラバ・毛がに.JPG

タコはミズダコが旬ですが,ゆでタコ専門というお店もあります(左)。ゆで具合が技の見せどころ。ボタンエビは刺身で(右)。

ゆで蛸.JPG

ぼたんえび.JPG

紅鮭(左)にイナダ(右)も冬の魚の代表格,日々の食卓に欠かせません。

紅鮭.JPG

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アナゴや太刀魚(左)も定期的に食べたくなる魚。変わったものでは,タコの卵にサメの心臓(右)。タコの卵は生のままポン酢で,サメの心臓は煮ても焼いてもOKです。

あなご太刀魚.JPG

蛸たまごサメ心臓.JPG

大きい魚は漁師さんがその場で下ろしてもくれるし(左),切り身や開き,漬け魚もあります(右)。

イナダさばく.JPG

切り身・開き.JPG

一仕事終えて団欒する一家(左)や,一人で切り盛りしているおばあちゃん(右)。市場は朝早いし(朝3時から午後1時まで),建物の中とはいえ外と同じ気温で寒いんです。お疲れさま。

団欒.JPG

婆ちゃん.JPG

結局この日は,マダラ1匹,イナダ1匹,ミズダコの足1本,ツブ貝1ザル,アンキモ1腹を買いました。でも,何も買わなくても見て歩いたり,魚の名前や調理方法を教えてもらうだけで,楽しい楽しい魚市場です。


投稿者 watanabe : 22:00 | コメント (2)

2007年01月21日

鳴子ダム

こけしで有名な鳴子温泉郷のそばにある鳴子ダムです。
こけしや温泉のほうが鳴子としては有名ですが,このダムも「国内初の日本人だけの手によって造られたアーチダム」として有名なダムです。昭和32年完成。構造物としてはシンプルですが,流線型の美しさが際立っています。

鳴子ダム横大.JPG


ダムのそばに建っている管理事務所1階は自由に見学できるようになっていて,建設当時の写真が飾られています。白黒写真で見づらいのですが,当時の建設の様子がわかって興味が尽きません。

ダムを造るには,まずダムの建設する場所の川の流れを,仮締め切り堤と仮排水トンネルで変えます(瀬替え;左の写真)。このV字の谷にダムができるわけです。そして,堤体(ダム本体)コンクリートを打設します。当時は,こんなに小さいバケットで少しずつコンクリートを運んでは打設していました(右)。

仮締め切り.JPG

バケット.JPG

堤体はいくつかのブロックに分けてコンクリートを打設していきます(ブロック工法)。その1つめのブロックを造っている様子(左)。右奥に見える白いアーチは仮締め切り堤です。隣に別のブロックができ始めました(右)。

ブロック1個目.JPG

ブロック2個目.JPG

進捗率3割くらいの様子。こうなってくるとダムの形がわかってきます(左)。進捗率8割の様子。ここまでくれば,もう立派なダムです(右)。

進捗3割.JPG

進捗8割.JPG

遂に完成。ダム湖が満水になってダムのてっぺん(堤頂)から水があふれています。右下には,まだ仮排水トンネルが見えています(左)。満水となったダム湖の様子(右)。ダム湖というより,まだ,満水の川といった様相を呈していてどこか切なさを感じます。

完成.JPG

荒雄湖.JPG

ダムのそばには,建設当時に使用されたトンネルが残っていたり(左;入れませんが),昭和63年まで使用されていた放流バルブが展示されていたり(右)と,今でもダムの歴史を感じることができます。

トンネル入り口.JPG

放流バルブ.JPG

そんな古いダムですが,それでも実はこの鳴子発電所は,東北電力としては宮城県内で一番大きい水力発電所です。ダム湖に貯めた水は,取水塔(左写真,右奥に見える四角い茶色っぽい建物,手前の階段のある建物は放流施設の一部)から取り込まれ,山の内部にある圧力トンネルを通って調整水槽に送られ,そこから最大落差105mの水圧鉄管(右写真,茶色い鉄管)を流れ落ちて発電所(右写真,白い建物)の中にある発電機を回して発電します。最近のダムと違い,発電に使用する水圧鉄管も発電所も地上にあるので発電のしくみがわかりやすいですね。

取水塔.JPG

発電所.JPG

渇水期の今の季節は見られませんが,5月の連休中には満水になった水を堤頂から越流させる「すだれ放流」と,その上を泳ぐ鯉のぼりの「鯉の滝登り」を見ることができます(下)。週末でなければダムの内部も見学できるということなので,暖かくなったらまた行ってみたいと思います。本当に美しいダムです。

すだれ放流.JPG

投稿者 watanabe : 23:53 | コメント (6)

2007年01月20日

農家レストラン

友人に誘われて,最近はやっているという「農家レストラン」なるところへ行って来ました。食事は自家栽培の野菜中心です。似たような見た目ですが,味付けは塩,醤油,味噌,ゴマ,ポン酢,ミルク,蜂蜜と多彩で,素材の品目もこれで20種類近く。手がかかっています。

農家食事.JPG


外観は普通の民家で,玄関を入ると囲炉裏があります。

農家レストラン.JPG

囲炉裏.JPG

梁を見せる構造に,熊の毛皮。古民家風でしょうか。

梁.JPG

くま毛皮.JPG

こけしの箸置き(店はこけしで有名な鳴子にあります)に,目盛り付き(しらふ,もうちょっと,ほどほど,呑み過ぎ)のビールカップ。楽しいひとときを演出してくれます。

こけし箸置き.JPG

目盛りカップ.JPG

部屋の調度品も,木の素材を生かしたお雛様に,木の野菜。ぬくもりを感じます。

木のお雛様.JPG

木の野菜.JPG

そして,ここの一番の楽しみは自家製のどぶろく。発酵している最中で,舌にピリピリ刺激がきます。米の重さとあいまって,たまらない味です。お土産にはどぶろくプリン。せっかくの健康志向も,これではあまり意味がなかったでしょうか。

どぶろく.JPG

どぶろくプリン.JPG

投稿者 watanabe : 18:24 | コメント (4)

2007年01月19日

愛単車

独りの時間がほしいとき,よくバイクに乗ります。
愛単車「バリオス」,カワサキの250cc。

バリオ全景+ムラ.JPG

バリオスという聞きなれない名前は,ギリシャ神話の英雄アキレウスの駆る戦車をひく,2頭の不老不死の神馬のうちの1頭。もう1頭は「ザンザス(あるいはクサントス;Xanthos)」といい,こちらも10年ほど前までカワサキのバイクの名前にありました。バリオスもザンザスもギリシア語を解し話すことができたと言います。
下の写真は,バリオスのエンブレム。

バリオスエンブレム.JPG

バイクというと,以前は速く走ることやカッコよく乗ることに第一義をおいていましたが,最近はゆっくり楽しく乗れるようになりました。中年安全運転ドライバーは,バイクのくせに車に先を譲って驚かれたりしています。安全を祈願するお守の数々(下の写真)。転居する先々で,その土地土地の神様仏様にご挨拶に行くので,いつのまにかこんなにお守りシールばかりになりました。

バリオスお守りシール.JPG

このバイクに乗り続けて14年目。アキレウスとバリオス&ザンザスのように,お互いに理解し合い会話できていると良いのですが。一度バリオスに聞いてみたいものです。「バウリンガル」「ニャウリンガル」ならぬ「バイクリンガル」はないものでしょうか。

投稿者 watanabe : 20:38 | コメント (6)

2007年01月18日

犬猫ラブラブ物語

うちの犬と猫はオス同士なのですが,妙にラブラブなときがあります。
お馬鹿な飼い主が綴る,お馬鹿な犬猫のラブ物語。

「あのね,ムラ(紫)ちゃん」 「何ですか,マル(白丸)ちゃん」

ラブラブ1.jpg

「ムラちゃん,好きなの」 「僕も好きですー」 「ラブラブー」

ラブラブ2.jpg

ラブラブ3.JPG

「マルちゃん,えい,がぶ」 「じゃ,お返しにムラちゃんも,えい,がぶっ!」 「ぎゃっ!」

ラブラブ4.jpg

ラブラブ5.jpg

「マルちゃん,ひどいですよ~。お返しに枕にしちゃいますよ」「ムラちゃん重~い」「じゃ,マルは目隠し攻撃」「あー,見えな~い」

ラブラブ19.JPG

ラブラブ7.jpg

「馬鹿なことしてないでお外で健全にちゃんと寝ましょう」 「そうしましょう」

ラブラブ21.jpg

おわり。

投稿者 watanabe : 20:37 | コメント (8) | トラックバック

2007年01月17日

阪神大震災から12年

このブログは楽しみのためを第一としてきましたので,時事的なことは敢えて書かずに来ましたが,今日だけは別です。阪神大震災から12年が経ちました。
私は直接的に何の被害も受けておらず,甚大な被害を受けた友人や親戚もいません。でも,土木屋として,なかんずくコンクリート屋として,絶対に忘れてはいけない災害だと心に刻んでいます。

水玉ライン長.JPG

当時の私はゼネコンの研究所に勤務していましたが,女性であること,研究職であること,後方支援が必要なことから,すぐに現地へ行くことはなく,震災後半年してから初めて行きました。半年経っても,旧長田地区の惨状は震災直後と全く変わっていませんでした。見渡す限りすべてが焼け跡でした。実構造物の鉄筋コンクリートの柱がせん断破壊しているのも初めて見ました。せん断破壊は鉄筋コンクリート構造物としては「してはいけない」破壊形態で,実験以外に「あるはずがない」破壊形態だとも思っていました。そのせん断破壊をしている柱が延々と続いているのを目の当たりにして,コンクリート屋の端くれとして非常な驚きと途惑いと居心地の悪さと後ろめたさと苦しさを感じました。

水玉ライン長.JPG

それからは,研究所で毎日が実験とデータ整理と検討書作成の日々でした。鉄筋コンクリートの柱がいかにして壊れたか,まだ壊れていない柱をいかに早く効率的に補強するかの実大構造物の実験を2年半,文字通り朝から晩まで繰り返しました。自宅には数時間寝に帰るだけ。研究室の誰もが同じ生活でしたが,その生活を乗り切ったのはたぶんコンクリート屋の責任感と自負心からだったと思います。そして,たぶん全国の土木屋が同じような,あるいはもっと大変な時期を過ごしただろうと思います。

水玉ライン長.JPG

日本全国で,いつ大地震が来てもおかしくない今日です。生活人としての日々の備えと,コンクリート屋としての技術の備えと,両輪の車で走って行きたいと考えています。

水玉ライン長.JPG

「あなたが何気なく過ごした今日は,昨日亡くなった人の,生きたかった明日」

(2007年1月17日 毎日新聞朝刊オピニオンワイド紙面より)

生きたかった明日の空.JPG

投稿者 watanabe : 23:33 | コメント (4) | トラックバック

2007年01月16日

冬の野鳥

犬と散歩していると,良く野鳥と出会います。
下の写真は,陸にいる冬鳥の代表格ツグミです。ツグミは市街地にも飛んでくるので,こんな風に住宅街の庭先にも良くいます。

住宅地のツグミ.JPG

でも,ツグミの好きなのは山地の雑木林(左)。こんな場所で「クイクイ」と鳴いています。モズも冬鳥の代表です。この写真(左)ではどんな鳥かわからないと思いますが,尾が長いという特徴だけはわかりますよね。山地の低木林にいて,止まっているときはこの長い尾をゆっくり回すように振っています。秋には高鳴きをしますが,冬は「キョン(ギョン)」とか「キチキチ(ギチギチ)」など地味な鳴き方をしています。

つぐみ.JPG

羽ばたくモズ.JPG

こんな明るい山林にはシジュウカラ(左)が群れをなして越冬しています。シジュウカラととても仲の良いエナガ(右)も,冬は一緒の群れで生活しています。シジュウカラは「ツツピー,ツツピー」と高い声でさえずりますが,エナガはその可愛さに似合わず「ジュリジュリ」とちょっと特徴のある声で鳴きます。

ばっちりシジュウカラ3.JPG

光るエナガ.JPG

コゲラ(左)も仲良しグループの一員。一般的にキツツキと言われている仲間で一番小さい種類です。林の中でコココココンという木をつつく音(=ドラミング)が聞こえたら,近くにきっとこのコゲラがいます。ドラミングの途中には「ギーッ」と鳴いています。ホオジロ(右)は,その名のとおり頬が白いのが特徴で,「チッ」という金属的な声で鳴きます。

コゲラ.JPG

ホオジロ.JPG


水辺に行くと,アオサギ(左の写真の左下)とダイサギ(左の写真の右上)が追いかけっこをしていました。どちらも似たような声ですが,アオサギの方が「キャッ」というやや甲高い声,ダイサギの方が「ゴァッ」という鼻にかかった声をしています。水面には,水鳥の冬鳥の代表格マガモ(右)が浮かんでいます。別名アオクビとも言われ,首から上が緑色に輝いているのが特徴です。カモの仲間は特徴的な数種を除けば,やはりみんな「グワッグワッ」と鳴いています。

アオサギダイサギ.JPG

逆光マガモ.JPG

カモの仲間で,頭に飾り羽(=冠羽)のあるキンクロハジロの集団(左)も泳いでいました。ハクセキレイ(右)もこんな草地を歩いていますが,本当は川や河口が大好きで,長い尻尾を上下に振って「チュチュンチュチュン」と鳴きながらぴょこぴょこ歩きます。

なんとなくキンクロハジロ.JPG

ハクセキレイ.JPG


最後は,お馴染みの鳥たちです。左はキジバト。首の横と背中のキジのような柄が特徴です。別名ヤマバトとも言い「デーデーポーポー」と鳴くので,「ポッポー」とだけ鳴くドバトとは,見なくても区別がつきます。右はヒヨドリ。「ピーヨピーヨ」とうるさいくらいに鳴くので,こちらもすぐにわかります。

キジバト.JPG

ヒヨドリ横.JPG


野鳥は姿を見るのもその声を聞くのも楽しいのですが,写真に撮るのは至難の業だということを実感しました。ピンボケ写真の数々は野鳥が元気な証拠ということでご容赦を。

投稿者 watanabe : 22:50 | コメント (2) | トラックバック

2007年01月15日

小正月

今日1月15日は小正月です。
宮城では,小豆粥を食べ,ミズキの枝に紅白の団子を刺した飾り物「団子木(だんごぎ)」を飾ります(下の写真はプラスチック製)。「団子木」は,養蚕の盛んな地方では「まゆ玉」とも言われますし,米粉を練って作るところから「餅花」などとも言われます。どれも,その心は五穀豊穣の願いです。

団子木.JPG

この団子木はうちで作るのが基本ですが,お花屋さん(写真下左)やスーパー(写真下右)など,いろいろなお店でも売っています。お店で買うと,お店の人が肩に乗せてくれるそうです。「縁起を担ぐ」にかけて,買ったらまず「肩に担ぐ」のが習わしなんだそうです。お店で売っているものは下右の写真のように,団子だけでなく小判,瓢箪,鯛,宝船,ダルマ,おかめといった縁起物がたくさん飾られているものもあります。

渡辺生花店.JPG

だんごの木.JPG

ところで,この小正月ですが,本当は「月」を暦の基準にしていた昔の日本だからこその風習だったようです。というのは,太陰暦の生活では「新月から次の新月まで」が一ヶ月であるため,一年で初めての新月の日が「正月=1月1日」でした。そして,新月から満月までの15日間を1つの生活単位とする考え(二十四節気)があったため,15日後の満月の日を「十五日正月」としました。そのため,元日を中心とした「大正月(おおしょうがつ)」に対して,1月15日(「14日の日没から15日の日没まで」,「14日から16日まで」など地方により異なる)を「小正月(こしょうがつ)」と言ったそうです。

小正月の特徴は,年神様や祖先の霊を迎える行事などが多い大正月に対して,団子木などで象徴されるように豊作祈願など農業に関連した行事や,家庭的な行事が行われることです。また,松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で「女正月」という地方もあるそうですが,これは西日本が主で,東日本以北ではあまり言わないそうです(残念)。

そして,昨夜「どんと焼き」で年神様を天に送り返した宮城では,今日をもってお正月が終わります。普段の生活にはもうお正月気分などとっくにないのですが,それでも何となく淋しい気がします。うちでは,小豆粥ならぬ「黒豆粥」(下左;小豆は鏡開きで使い切ってしまい,逆に暮れの黒豆が残っていたので)と,団子木の代わりに紅白しらたま(下右;上新粉もないので白玉粉で代用)を作りました。

黒豆粥.JPG

紅白白玉.JPG

本当の団子木は1年間家に飾るそうですが(来年の「どんど焼き」でお炊き上げしてもらう),以前住んでいた立川(の奥の方の多摩地域)では,「まゆ玉」と呼ぶ同じような飾り物を1月13日~15日に飾り,16日には団子を取って食べていましたから,多摩-仙台折衷案を採用することにしました(全く折衷していないが)。きちんとしたものを作らないのは気が引けますが,今日は「女正月」だから許してもらいましょう。

投稿者 watanabe : 20:20 | コメント (2)

2007年01月14日

どんと祭

今晩は「どんと祭」でした。

「どんと祭」は,毎年1月14日に正月飾りやしめ縄,古神符を持ち寄って神社の境内で焼く正月行事です。宮城では「松焚祭(まつたきまつり)」とも言います。宮城県内で一番大きな「どんと祭」は,1月4日に初詣に行った大崎八幡宮のものなのですが,大きな神社のみならず村内の小さなお社でもこの夜にはお焚き上げが行われます。

境内.JPG


そこで,今晩は近くの小さな小さな,その名も「山の寺」に行ってきました。ここは洞雲寺というお寺の境内に秋葉神社という神社の社も建っている,いかにも八百万の神様仏様を愛する日本らしいお寺です。大きな神社のような売店などはたたず,新しいお札の頒布と古いお札のお焚き上げをしてくれるだけです。でも,燃え盛る炎を見ていると,それだけで心が安らぎますよね。


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この火は正月の間に各家庭に訪れていた神々を送る「御神火」として,あたると心身が清められ,一年間無病息災で家内安全の加護を得るという言い伝えがあります。写真ではありますが,この火を眺める皆さんの今年一年に神様仏様のご加護がありますように。

投稿者 watanabe : 20:25 | コメント (2) | トラックバック

2007年01月13日

幻のマックノート彗星

この数日,ある彗星を一目見ようと探し続けていました。その彗星の名は,「マックノート彗星(C/2006 P1)」。2006年8月にマックノート氏によって発見された新しい彗星です。発見された時は17等級という暗さだったのですが,今年に入ってから明るさを増してプラス1等級となっており,一時はマイナス10等級まで明るくなるのではないかと言われていました(結果的にはマイナス2等級程度でしたが)。

夕景マックノート.JPG


この「等級(等星)」という星の明るさの単位は,下の絵に示すようにマイナスになるほど明るくなります。全天で一番明るい星(恒星)でもシリウスのマイナス1.46等級で,明けの明星や宵の明星として知られる金星がマイナス4.6等級ですから,マイナス2等級でもその明るさが想像できると思います。ちなみに,北極星はプラス2.0等級,満月はマイナス12.7等級,太陽はマイナス26.7等級です。なお,1等級違うと明るさは約2.5倍違います(例えば,金星とマックノート彗星の明るさの差は,2.5の2.6乗で約11倍)。

星の等級太い.bmp


さて,こんなに明るい星なのに何故そんなに探し続けていたかと言うと,見える位置があまりにも低いためと,太陽にものすごく近いためです。下の絵は,私が彗星を探す目安に書いたものです(出典は「ステラナビゲータver.8」)。日の出直前と日の入り直後の2回チャンスがあるのですが(絵は日の入り直後のもの),どちらも空が明るい上に彗星の高度がとても低い。絵に示してある10度という高さは,腕を前に突き出した時のこぶし1個分くらいの高さです。

ステラナビマックノート大.bmp


ネットで情報を検索していると,「見えた!」「撮影に成功!」などという喜びの文字や映像が全国で躍っており,仙台市天文台からも「白昼に捉えた!」などという映像が紹介されていて,私にも見える可能性はあると励まされる思いでした。でも,朝夕の犬との散歩をこの時間に合わせ,犬は下を,私は上を眺めながら歩いていましたが,結果的にこの彗星を見ることはできませんでした。上の絵でもわかるように,彗星はだんだん高度を下げていっています。今日(1月13日)が太陽に一番近づく近日点なのですが,今日以降は高度の下がり方が急になり,北半球からは観測できなくなってしまいます。

「縁がなかったな~」と残念ですが,まだ楽しみが尽きたわけではありません。北半球からは今週いっぱいくらいで見えなくなりますが,近日点通過後は南半球で高度を上げ,もしかしたら大彗星になるのではないかとも言われています。この彗星は軌道が双曲線を描いているため,二度と太陽に近づくことはなく,これが最初で最後の出会いとなります。もしかしたら,オーストラリアあたりから美しいニュース映像が届くのではないかと期待しています。

というわけで,一番上に掲げた写真はマックノート彗星を探し続けた西南西の空です。もちろん彗星は写っていませんが,彗星は見えなくても美しい夕空を堪能できたことに感謝です(左半分に見えるネットは,東北楽天ゴールデンイーグルスの2軍グランド)。

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2007年01月12日

雪輪のストール

伊達家の家紋の話をした時(1/5),白鳥さんが「くさ原に雪が降っているところをストールに染めました。ちょうどこの家紋と同じ雪輪模様を雪に見立てました。」と言ってらしたのを覚えていますか?
白鳥さんから,そのストールの写真をお借りしましたのでご紹介します。

ストール草原.JPG

素敵ですね~。猫じゃらしの枝垂れている風情も良いし,色合いも落ち着いているのに華やか。そして,注目の雪輪。ここに,ただの丸い雪粒でなく,雪輪を降らせたところにセンスの良さを感じます。

ストール雪輪.JPG


せっかくなので,伊達家の家紋の「雪薄」と,白鳥さんの「雪輪」と,本物の「雪の結晶」を並べてみました。とてもとても良く似ています。伊達家の家紋をデザインした人は観察眼に優れた人だったのでしょうし,そのデザインを現在に活かせる白鳥さんも審美眼に優れた人なんですよね。

本当の雪輪2.JPG

伊達雪輪枠つき.GIF

白鳥さんの雪輪.JPG


白鳥さん,写真ありがとうございました。土木屋にしておくのはもったいないと言うべきか,センスが良いから土木屋になったというべきか。後者の感想は周囲の賛同が得られなそうですが,そのセンスの良さで土木の世界の魅力をぜひアピールしてくださいね。

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2007年01月11日

鏡開き

今日は鏡開き。

鏡餅.JPG

お汁粉はたくさん食べられないので,ビールのおつまみにもなるようにとカキ餅を作ったのですが,面白いものができました。

下の3つの写真は,どれも同じ作り方で作ったものです。何が違うかというと,お餅のランクが違うのです。左の写真はいわば松。お米屋さんで搗いてもらったもの。中央の写真は竹。スーパーで個別包装になっている袋もの。右の写真は梅。ホームセンターの軒先で売っていたもの。

梅.JPG

松.JPG

竹.JPG


ランク(値段)の差は品質の差とわかってはいましたが,具体的に言うと米量と水量の比が違うんですね。実はコンクリートも,セメント量と水量との比でその品質を判断します。セメント量に対して水量が多ければ多いほど,強度も弱く耐久性にも劣るものしかできません。お餅も,米量に対して水量が多いものほどその品質が劣るというわけだったのです。


ところで,「鏡開き」という言葉には二つの意味がありますよね。一つは,今日のように,年神様にお供えしていた鏡餅をおろして食べること。もう一つは,祝宴などで酒樽の蓋を木槌で割って開けること。どうして同じ単語だろうと不思議に思っていたので,これを機会に調べてみました。

どちらも「鏡」は餅や樽を指しており,餅は丸い形が昔の銅鏡に似ていることから,樽はその蓋を酒屋で鏡と呼んでいたからだとのことです。そして,どちらも本当は「開く」わけではなく「割る」なのですが,そこはやはり「割る」では縁起が悪いので「開く」と呼んでいるわけです。そして,実は両者には共通する意味があって,それは「新たな出発に際して健康や幸福などを祈願しその成就を願うこと」なのだそうです。そうだったのか。では,今年一年の新たな出発を改めて祝して,今晩はビールにカキ餅で乾杯です。


ちなみに,「梅」のお餅はこれ以上不思議な物体を作っても仕方がないので,結局お汁粉になりました。でも,これはこれでお餅の水っぽさが歯ごたえの頼りなさになって悪くなく,つるりんと食べられてしまったのでした。適材適所というべきか,結局は何でも美味しく食べられる性格ということか。

お汁粉.JPG

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2007年01月10日

コンクリート構造物の信頼性

コンクリート屋の私は現場調査にも行きますが,机の上でチマチマと計算もしています。コンクリート構造物の地位向上委員会委員長(嘘ですよ!)として,今日はそんな計算の話。

コンクリート構造物には残念ながら「ひび割れ」が付き物です(ただし,ひび割れにも有害なものと無害なものとがある)。でも,構造物を造る前に,ひび割れが「いつ頃」「どこに」「どれくらい」「どのように」出るか,を予測することができる種類のひび割れもあります。それは,セメントが水和するときに発熱する温度に起因するひび割れです。

model.bmp

それを予測するには,まず構造物のモデルを作ります。

左の絵で,薄黄色の部分は地盤。構造物よりも地盤をずっと大きくとります。薄緑色の部分は,スラブと呼ばれるいわば床の部分。水色の部分が壁。このモデルは,壁に発生するであろうひび割れを予測する時の典型的なモデルです。たかが,壁に発生するひび割れを予測するだけなのに,モデルはその何倍も大きなものを作らなくてはなりません。この構造物モデルはモデル化する時点からが勝負なのですが,私にはそのセンスがあまりなくいつも四苦八苦しています。

モデルができたら,様々な条件を入力して計算します。

例えば,下の左の絵は温度の計算結果。コンクリート構造物の,どこがどのくらい熱くなるかが一目でわかりますよね。コンクリートの熱が地盤の広い範囲にも及んでいることがわかります。

下の右は応力の計算結果。応力は温度同様,壁の中央で大きくなることがわかります(赤い方が応力が大きい)。つまり,この部分でひび割れが発生する可能性が高い,ということになります。もちろん,「可能性が高い」という定性的な判断ではなく「何%の確率で」と定量的に判断できます。

温度.bmp

応力.bmp

henkei.bmp

左の絵は,変形の大きさ。相当デフォルメしてありますが,壁の中央あたりで大きく縮み,反対に構造物の端部で伸びているのがわかります。

と,まあ,こんな計算をして,できる限り良い(耐久性のある,信頼性のある)構造物を造ろうと,コンクリート屋は日夜努力しているわけで,皆様の暖かいご支援を宜しくお願いいたします。

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2007年01月09日

雪やこんこ

昨日,「今年は雪がほとんどなく」と言ったら,それに発奮したかのように今日は雪が降りました。おかげで昨日ご紹介した泉ヶ岳も,例年ほどではありませんが雪化粧になりました。

雪やこんこ.JPG


以下の写真,子供の頃ならった文部省唱歌を思い出しながら見てくださいな。「こんこ」は「来い来い」という意味だそうです。犬の出演回数が多いのは,どうしても雪好きのためご勘弁を。

1番。

あられやこんこ降っては降っては.JPG

ずんずん積もる.JPG

山も野原も綿帽子かぶり2.JPG

枯れ木残らず花が咲く2.JPG

2番。

雪やこんこあられやこんこ.JPG

降っても降ってもまだ降りやまぬ.JPG

犬は喜び庭駆け回り2.JPG

猫はこたつで丸くなる.JPG

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2007年01月08日

『泉ヶ岳』と蔵王連峰

仙台市の北のはずれに『泉ヶ岳』という山があります。毎日,この山を見るのが楽しみです。下の写真で,双頭の左の山が『泉ヶ岳』(1172m),右の山は『北泉ヶ岳』(1253m)です。

今年は雪がほとんどなく,山腹の左右2箇所にあるスキー場だけがいくらか白くなっています。左のスキー場は,夏は草スキーが楽しめます。右のスキー場はナイターの灯りが綺麗です。泉ヶ岳の左肩に見える山は『船形山』(1500m)で,山形県との県境になっています。

泉ヶ岳.JPG


その船形山から南西に続くのが雄大な蔵王連峰。尾根がずっと県境になっています。晴れた朝の連峰は,それは綺麗です。

連峰を南端から見ていくと,『不忘山』(1705m;別名『御前山』),馬の背が特徴的な,『南屏風岳』(1810m)と『屏風岳』(1825m)。山とは関係ありませんが,中央には仙台観音が見えています。

不忘山・屏風岳.JPG

中央付近に見えるのが,『刈田岳』(1758m)と『熊野岳』(1841m;連峰最高峰)。この二つの山の中央に有名な「蔵王のお釜」があります。蔵王連峰には「蔵王」という名の山はなく,最高峰を言うなら『熊野岳』,お釜を見るのに適していて頂上に神社があるのが『刈田岳』です。

刈田岳・熊野岳.JPG

中央付近の積雪のあるのが『雁戸山』(1485m)。

雁戸山.JPG

左端は『神室岳』(1356m),右端の左に傾いた大きな山が『大東岳』(1366m)。この二つの山は,県境より宮城側にあります。県境の山や尾根よりも高いのでこちらが見えます。

神室岳・大東岳.JPG

名前が面白い,その名も『南面白山』(1225m)と『面白山』(1264m)。

南面白山・面白山.JPG

いかにも頂上は寒いのだろうと思わせる中央右寄りの『寒風山』(1117m)。

寒風山.JPG

右端からなだらかに続く『後白髪山』(1423m)。県境より宮城側にあり,県境の山(『楠峰』1211m)は低いので見えません。

後白髪山.JPG

そして,『船形山』を背景に,『泉ヶ岳』『北泉ヶ岳』に戻ってきました。南端の『不忘山』からこの『泉ヶ岳』まで,写真は(=山は)ぜんぶつながっています。

船形山・泉ヶ岳.JPG


以前,立川に住んでいた時には自宅から富士山を見るのを何よりの楽しみとしていましたが,今は犬と散歩しながら四季の蔵王連峰を眺めています。今日は,成人の日を迎える人たちに心中エールを送りつつ。

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2007年01月07日

七草粥

正月七日といえば,やはり七草粥ですね。

七草粥完成.JPG

子供の頃は実家の近くでも雑草がたくさん生えていて,七草など空き地から摘んできたものでした。ただし,七草のうち,スズナ,スズシロ,セリはさすがに空き地には生えていませんでしたので,その代わりにオオバコなどの食べられる草を適当に摘んでいたのですが。

今の自宅の周りにも,実家の周りと同じ四草(ナズナ,ゴギョウ,ハコベ,ホトケノザ)が生えていますが,犬の散歩道に当たるのでこれも残念ながら摘む気になれず,結局,七草パックを農協などで買ってきています。

スズナ,スズシロ,セリ

セリ.JPG

スズナ.JPG

スズシロ.JPG

ナズナ,ゴギョウ

ナズナ大.JPG

ゴギョウ.JPG

ハコベラ,ホトケノザ

ハコベラ.JPG

ホトケノザ.JPG


本当の春の七草にこだわらなくても,冷蔵庫にあるあり合わせの野菜でも良い気がしつつ,でもやっぱり七草にこだわりたいような気もして。味付けも,中華風や洋風にしてみたりしたこともありますが,今は原点に回帰して塩味のみにしています。こうしてだんだん頑固婆になっていくのでしょうねえ。


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2007年01月06日

燗酒

新年会は燗酒を飲みに行きました。
もちろん,どこの店に行っても燗酒はあるでしょうが,ここは,お燗用の器械が目の前にあって,自分で好きな温度につけられるというのが楽しい店です。

お燗用の器械はこんな形(左;テーブル席用)。カウンターに座ると,目の前にこの器械が埋めてあります(右の写真の左隅)。

お燗器.JPG

カウンター.JPG


お燗用のお酒の入れ物は,錫(すず)製のちろり(左)。こんな感じにちゃぽんと入れます(右)。お燗用器械の中は温度管理されたお湯です。

錫ちろり.JPG

お燗.JPG

ちろりには温度計(酒温計)がさしてあって,中に入っているお酒の温度がわかる仕組みになっています(左;今は24℃)。温度によってこんなに呼び方が変わる日本酒(右)。日本語って,こういうところが繊細ですね。

どの温度で飲むかは個人の好き好きです。でも,味を確かめるために(どの温度が一番おいしいか)温度を少しずつ変えながら飲んでいると1合なんてあっという間で,ここに来ると飲みすぎるのが難点です。

酒温度計.JPG

お燗温度のみ.JPG

最後に,宮城ならではの酒と肴をご紹介します(とは言ったものの,宮城に限ったものではなく,東北から北陸あたりにかけて同じかも知れません)。

左は「もっきり」と呼ばれる,いわゆる「コップ酒」です。ただ,コップ酒の場合,下に皿がついたりつかなかったりしますが,こちらで「もっきり」と言えば,グラスを皿の上に乗せて,必ずグラスから皿にあふれるくらい酒を注ぎます。本来の言葉は「盛り切り」だったようで,茶碗一杯限定の料理や飲み物のことを意味していたようです。

右は「ばくらい」という名前の珍味。ホヤの身(三陸名産)とコノワタ(なまこの腸;三河名産)を合わせた塩辛です。写真は,少し凍っている状態(白いのはみじん葱)。このままシャリシャリ食べても,すっかり融けたのをトュルトュル食べても,どちらも抜群に美味しい。ただし,好きな人はものすごく好き,ダメな人はとことんダメ,という代物でもあります。ちなみに「ばくらい」という名前は,ホヤの形が機雷に似ているところから爆発をイメージしてつけられたそうです。

「もっきり」に「ばくらい」。仙台に来た時にはぜひぜひお試しあれ。

もっきり.JPG

凍ばくらい.JPG


投稿者 watanabe : 20:30 | コメント (4)

2007年01月05日

伊達家紋

昨日,大崎八幡宮の一の鳥居の扁額を飾る「伊達家の六種の家紋」の話をしたので,今日はその家紋の話を。

伊達氏は,戦国武将の中でも特に家紋の多い家と言われています。これは,興亡の激しい戦国時代にあって生き残るために,その時々の実力者と和睦を図ってきたからだそうです。その家紋の数ですが,「伊達七家紋」(下の絵上の段)とか「十家紋」とか言われており,どれを正式と考えて数えているかは良くわかりません。私が知っている家紋は少なくとも13(下の絵)はあります。

伊達家家紋一覧並べ替え.JPG

良く見る(と私が思っている)いくつかの紋をお土産の品々とご紹介します。

1世朝宗(ともむね;正宗は17世)が源頼朝から拝領したという『二引両(にひきりょう)』(上の絵下の段左端)を改めた『三引両(みつびきりょう)』。伊達家の家紋では最も古いものです。下の『九曜』とともに,仙台の老舗和菓子屋の和三盆のデザインに使われています。青葉城址の騎馬像の台座にもあります(12/18「伊達政宗像」の一番上の写真)。左の写真は仙台市のマークで「仙」という文字をデザインしているのですが,どう見てもこの家紋を意識してますよね。

仙台市マーク.JPG

三引両.gif

和三盆.JPG


通称『仙台笹』と呼ばれる『竹に雀』。伊達家の定紋です。この紋は一番人気。湯呑みや茶碗など何でもあります。「雀」がモチーフのこんな香入れもあります。ちなみに「雀」は仙台のキーワードの一つで,毎年5月の青葉祭りには市民が「雀踊り」を踊ります。

雀香入れ.JPG

仙台笹.JPG

湯のみ部分.JPG


伊達家のルーツである藤原氏が使用していた 『九曜』。伊達家では正宗が初めて使いました。写真中央はコースター,右は『瑞願寺』(伊達家の菩提寺;松島にあります)の寺門の瓦です(これはお土産にできませんが)。また,写真はありませんが,青葉城址のふもとの街灯はガラスにこの紋が透かしてあって,もれる明かりが綺麗です。上の和三盆にも使われています。

瓦2.JPG

九曜.jpg

九曜紋コースター.JPG


伊達家特有の紋である『雪薄(ゆきすすき)』。中央と左の写真は仙台銘菓の一つ『雪輪モナカ』です。中身はえんどう豆にレモンを混ぜた餡で,これに求肥が入っています。冬(11-12月)限定の爽やかな味。

雪輪もなか中身.JPG

雪薄.gif

雪輪もなか.JPG


家紋ってデザイン的にはとても優れていますよね。好きな紋はいろいろあるのですが,自分の家紋を自分で選べないというのが残念です。

投稿者 watanabe : 19:51 | コメント (6)

2007年01月04日

『大崎八幡宮』 初詣

仕事初めの日ですが,午後は近所のお宮に初詣に行って来ました。
慶長12年(1607年),伊達政宗によって創建された仙台六十二万石の総鎮守,安土桃山建築の傑作,我が国唯一の同時代の遺構,国宝建造物(以上,お宮の由来書より)の『国宝 大崎八幡宮』です。

社殿.JPG

安土桃山時代に造られたにしてはずいぶんと綺麗なのは,さすがに傷んで傾いてきた社殿を,御鎮座四百年記念大祭(昨年開催)を機に修復したからです。とはいえ,ぱっと見,とても地味に見えます。でも,あっと驚く社殿の軒下(下の写真)。以前(12/23)ご紹介した『瑞鳳殿』(正宗の霊廟)と相通ずる彩色です。見えないところが派手というのは伊達者の心意気なのでしょうか。

社殿の裏2.JPG

社殿の裏1.JPG

一の鳥居(左)に掲げられた扁額も黒地に金というモダンさ。加えて,この書体(右)。五代藩主吉村公の揮毫だそうで,私はデザインの良し悪しはよくわかりませんが,藩主の手慰みにしては見事に思えます。文字の周囲を飾るのは伊達家の六種の家紋です。

表参道.JPG

額.JPG

一の鳥居をくぐり(左),創建当時のままという趣のある大石段(右)を登ってゆくと,

大石段.JPG

八幡宮石段.JPG

二の鳥居,三の鳥居を過ぎた先に,長床と呼ばれる建物があります。本殿(社殿)と同じ時期に創建されたそうですが(本殿は長床の奥にあります),本殿の華やかさに比べて落ち着いた様相を呈していて,この対比が桃山文化の粋なのだとか。

長床.JPG

松川だるまアップ.JPG

そして,境内で売られているのが有名な『松川だるま』。顔の周りが群青色に彩色されていて,腹部には神様(写真では大黒様)や宝船,松竹梅などが描かれています。本当は眉毛も本毛だそうです(恐い)。その筋によると「日本一派手なだるま」だとか。うーん,結局,伊達者の心意気はどこにある?

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2007年01月03日

三日とろろ

正月三日は「三日とろろ」の日です。
主に東北地方の正月行事と聞きましたが,南東北(宮城,山形,福島),北関東(茨城,栃木,群馬),濃尾地域(岐阜恵北,尾張など)あたりで今も残る風習のようです。年末年始に疲れた胃腸の調子を整えるという意味が大きいようですが,それだけでなく,この日にとろろを食べると,一年中風邪を引かない,一年を無病息災で過ごせる,長生きをする,などの言い伝えがあるそうです。

とろろすまし汁.JPG


その地域によって若干の違いがあり,例えば,食べる日は,福島では3日の朝,栃木では3日の夜,尾張や岐阜では2日の朝,と微妙にずれています。また,食べるとろろも,とろろかけご飯が良い(ご飯をかき込むように,かき込むような収入を願う;岐阜恵北)とか,とろろ汁が正統とか,そばにかけてもすまし汁にしてもOKとか,こちらも地域によって微妙な温度差を感じます。うちでは特別なこだわりはないので,飲み疲れた胃のためすまし汁(上の写真)を作りました。


お正月から悲しい話ですみませんが,「三日とろろ」で一番有名な話は,薄倖のマラソンランナー円谷幸吉(福島県須賀川地方出身)の「父上様,母上様,三日とろろ美味しうございました。」という最後の手紙ではないでしょうか。「三日とろろ」という単語を,私は単に「三日に食べたとろろ」と解していましたが,この風習を知ってからは,国家的使命を担った息子の健康を祈った親の心だったのだと切ない気持ちになりました。


さて悲しい話はさておき,青森県は,長芋の出荷量全国一を誇ります。冬場は保存がきくので,うちでもたくさん買っておがくずに埋めておきます(下の写真)。保存食があると,何だか豊かな気持ちになれますね。サクサクした軽い食感が好きなのと,消化も良いそうなので,じゃがいもの代わりにグラタンにしたり,大根の代わりに風呂吹きにしたりします。

そろそろお正月休みも終わりに近づいてきました。体調を整えて,元気に仕事を再開したいですね。

おがくず長芋.JPG

投稿者 watanabe : 19:02 | コメント (4)

2007年01月02日

仙台初売り

1月2日といえば,仙台では「初売り」です。

四郎さんの初売り.JPG

「仙台初売り」は仙台藩の時代から三百年以上続く伝統的な正月行事です。

その特徴の第一は,大きな「茶箱」の福袋。今の時代に茶箱なんて,と思いますが,市内の茶舗のほとんどは今でも茶箱の福袋を出しています。中身の見えない福袋は「一年の運だめし」の意味もあるそうで,茶箱ともども福袋人気は絶大です。

特徴の第二は,商品の価格を上回る豪華な景品や特典がつくこと。どんな少額のものにでも相当の景品がつくのが,他では真似できない(しない?)仙台商人の心意気だそうです。旧仙台藩以来の恒例行事とあって,この豪華景品には公正取引委員会でも特例を設けて無粋な口出しを控えているそうですから,その景品の豪華さが想像されます。

下の写真は,元旦に入ってきたチラシの数々。「初売り」の文字が躍っています。衣料品,食料品はもちろんのこと,靴,着物,和箪笥,眼鏡,作業服(!),工具,家電,携帯電話,ゲーム機器,日用品,花,薬,車,タイヤ,カー用品,ありとあらゆるものが「初売り」です。変わったところでは,仏壇や墓苑などまで。

初売りチラシ.JPG

ちなみに,市内で有名な老舗の茶舗では,5000円以上のお茶を購入した先着100名に,家電製品などの生活用品が入った茶箱を「ご祝儀」として進呈するそうです。そのため,徹夜組をはじめ朝早くから開店を待つお客さんが店頭に並び,各店舗は通常よりも早い開店時間となるうえ,お屠蘇やお茶などをふるまう店などもあって,お正月からお祭り気分で盛り上がります。

と,ここまで書いておいて何ですが,実は私は初売りに行ったことはありません。人ごみがそんなに好きじゃないし,並ぶのはもっと好きじゃないし,福袋は欲しくないし,茶箱は置く場所ないし,例えば冷蔵庫が二つになっても,うーん。せっかくなので,雰囲気を味わいに一度くらいは行ってみようかなあと思いつつ,早や5年。いつもテレビのニュースや翌日の新聞で,人出の人数や豪華景品の内容を聞いて「へーっ!」と感心しています。生粋の仙台人になるには,まだまだ修行が足りないようです。

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2007年01月01日

仙台雑煮

明けましておめでとうございます。新しい年の始まりですね。今年もよろしくお願いします。
さて,お正月と言えばやはりお雑煮。全国各地にその地方の雑煮があるように,仙台からも「仙台雑煮」をご紹介します。

雑煮箸付.JPG

仙台雑煮は,松島湾で捕れるハゼの焼き干しをダシに使うのが特徴です。焼きハゼは,年末になると数匹ずつワラ縄で束ねたものが店先に並ぶようになりますので,それを買ってきて,使うまでは自宅の軒先に吊るしておきます(左)。具は,この焼きハゼの他に,大根,人参,牛蒡,芋茎(ずいき;地元では「からとり」と言います),飾り用の芹と筋子(右)。

焼きはぜ.JPG

雑煮材料.JPG


注意点は二つ。一つ目は,焼きハゼは身が柔らかいので,ハゼのダシを取ったら身が崩れないように一度取り出しておくこと。二つ目は,大根,人参,牛蒡は,千切りにして茹でたあと,一夜屋外に出して凍らせておくこと(これには驚きました)。

さて,まず,水に焼きハゼを入れて強火にかけ,沸騰したら弱火で15分ほど煮てダシをとります(左)。一度ハゼを取り出し,ダシ汁に大根,人参,牛蒡,芋茎を入れて強火にかけます(右)。

手順1.JPG

手順2.JPG


沸騰したら弱火にして醤油(好みで味醂をプラス)で味付けをします(左)。焼きハゼと焼いた角餅を入れてしばらく煮ます(右)。

手順3.JPG

手順4.JPG


やはり,先にハゼを取り出し(左),器に盛ったら,芹と筋子で飾りつけ,最後にハゼをそっと飾ります(右)。このとき,せっかくのハゼが器からはみ出すように,小さい器に飾るのがポイントです。これで出来上がり。

手順5.JPG

雑煮アップ.JPG


ハゼのダシがきいたおつゆに筋子の塩気がからまって,想像したよりずっと美味しいお雑煮です。皆さんのお宅のお雑煮はいかがですか。

投稿者 watanabe : 05:36 | コメント (6)