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2007年01月17日

阪神大震災から12年

このブログは楽しみのためを第一としてきましたので,時事的なことは敢えて書かずに来ましたが,今日だけは別です。阪神大震災から12年が経ちました。
私は直接的に何の被害も受けておらず,甚大な被害を受けた友人や親戚もいません。でも,土木屋として,なかんずくコンクリート屋として,絶対に忘れてはいけない災害だと心に刻んでいます。

水玉ライン長.JPG

当時の私はゼネコンの研究所に勤務していましたが,女性であること,研究職であること,後方支援が必要なことから,すぐに現地へ行くことはなく,震災後半年してから初めて行きました。半年経っても,旧長田地区の惨状は震災直後と全く変わっていませんでした。見渡す限りすべてが焼け跡でした。実構造物の鉄筋コンクリートの柱がせん断破壊しているのも初めて見ました。せん断破壊は鉄筋コンクリート構造物としては「してはいけない」破壊形態で,実験以外に「あるはずがない」破壊形態だとも思っていました。そのせん断破壊をしている柱が延々と続いているのを目の当たりにして,コンクリート屋の端くれとして非常な驚きと途惑いと居心地の悪さと後ろめたさと苦しさを感じました。

水玉ライン長.JPG

それからは,研究所で毎日が実験とデータ整理と検討書作成の日々でした。鉄筋コンクリートの柱がいかにして壊れたか,まだ壊れていない柱をいかに早く効率的に補強するかの実大構造物の実験を2年半,文字通り朝から晩まで繰り返しました。自宅には数時間寝に帰るだけ。研究室の誰もが同じ生活でしたが,その生活を乗り切ったのはたぶんコンクリート屋の責任感と自負心からだったと思います。そして,たぶん全国の土木屋が同じような,あるいはもっと大変な時期を過ごしただろうと思います。

水玉ライン長.JPG

日本全国で,いつ大地震が来てもおかしくない今日です。生活人としての日々の備えと,コンクリート屋としての技術の備えと,両輪の車で走って行きたいと考えています。

水玉ライン長.JPG

「あなたが何気なく過ごした今日は,昨日亡くなった人の,生きたかった明日」

(2007年1月17日 毎日新聞朝刊オピニオンワイド紙面より)

生きたかった明日の空.JPG

投稿者 watanabe : 2007年01月17日 23:33

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コメント

阪神淡路の震災は、まさか日本でこんな被害が...といったショックがありました。
この日、近状のおばあちゃんが老衰で亡くなったりして、個人的にも忘れられない日で、毎年「震災が...」とニュースで流れるたびにもう何年たったんだ、と思います。
人の命ははかないですよね。

投稿者 shiratori : 2007年01月19日 13:08

今年の毎日新聞には「阪神大震災」の言葉の説明コラムが載っていて驚きました。ああ,こうして風化していくんだなあって。悲しみを忘れるという意味では望ましいことですが,その悲しみを繰り返さない努力をするという意味では望ましくないですよね。

投稿者 ひよこ : 2007年01月19日 20:26

震災の1年後、友人が市の建て直しのため国土交通省から西宮市へ出向しました。見にいらっしゃいと言われたので行きましたが、一年経過した後も滑った住宅地や崩壊した家屋、駅前などはそのままの状態でした。高級住宅地であろう山の手の住宅地は盛り土の住宅が滑り、切土の住宅地はあまり傷みもなく残っている状況で、幸、不幸を分けたラインは生々しく、数字合せの技術の無力さを感じずにはいられませんでした。赴任したばかりの時は、道の液状化がそのままの状態で、お子さんが「パパ、道が波のよう」という感想をもらしたそうです。
私たちの技術、計算ができることも大切ですが、住んで良い場所、住まないほうが良い場所、まず森羅万象を肌で感じ、揺るぎない自然を読み取ることも根本的に必要かと思います。

投稿者 虎々 : 2007年01月22日 19:09

虎々さん,コメントありがとうございます。「森羅万象を肌で感じ、揺るぎない自然を読み取る」力が,技術者には本当に必要だと思います。
「住んで良い場所、住まないほうが良い場所」については,以前,スイスの話を聞いたことがあります。雪のない季節に不自然な配置で建っている家々を見た日本人が何故なのかを尋ねたら,「雪崩の起こる道筋を避けているからだ」との答えだったとのこと。「住まないほうが良い場所」をきちんと把握していたんですね。
私も,フィールド技術者は,現場を見て,現場から何を読み取るか,に技術者の責任とセンスがかかっていると思います。その力を養う努力をし続けなければならないとも思います。

投稿者 ひよこ : 2007年01月22日 22:29